こんにちは、あかりです。

今回から「おみくじちゃん」がどんな世界観なのかを徒然でお伝えしていこうと思います。

まずは前提になる「源氏と平氏」について。

 

・源氏と平氏

 

時は平安。まだ京の都に天子様、つまり帝がおいでになられた頃。

帝にもお子がたくさんいらっしゃるので、さらにお孫もたくさんいらっしゃる。

そのすべてのお世話をできるかというと、難しいですよね。

 

身分の高いお妃様から生まれた御子さまなら良いのだけれど、身分の低い女性や実家の没落してしまったお妃さまなどからお生まれになったお子達は、権力の座から忘れられたようにしてお過ごしになっていたのです。

 

そんな中、「お前のことが気がかりでね」と、帝からお声がかかることがありました。

「姓をあげるから臣籍に降りるように」とお言葉をいただくのは、実は「お前のことを忘れてはいないよ」ということでもあり、名誉なことであったとも言います。これを臣籍降下、または賜姓降下といいます

 

 💡 ※ちなみに明治以降になると皇族に「降下」とは不適切とし、「皇籍離脱」が用いられるようになります。

 

さて、そうした臣籍に降りたことで有名なのが、桓武平氏、清和源氏といったものですね(他にもたくさんあります)。

桓武天皇の流れを汲む平氏、清和天皇の流れを汲む源氏という意味です。

 

いわゆる武士として活躍していく「平氏」の祖は平高望といい、兄弟という説もある平高棟の流れを(殿上できたので)堂上平氏といいます。

二つの血筋はこの後、平清盛と平時子の結婚によって再び一つとなります。

 

平高望は坂東(関東の古い呼び名)の上総介となり、その後有名な平将門も坂東を拠点にしますし(この人は清盛の直接の先祖ではありません)、将門を倒した平貞盛の子孫も、坂東に大きな勢力を持つこととなります。

 

💡 ※蛇足ですが、高望の正室の子である国香、良兼、良持は将門のおじにあたり、敵対しました。高望の側室の子である良文は将門側についたと推察されています。 将門を倒した貞盛は国香の子です。この辺りはまたそのうちに。

 

清和源氏の祖として代表的なのは、清和天皇の第6皇子貞純親王の皇子経基王です。この流れを汲むのが源頼朝や、武田氏、足利氏、新田氏です。清和天皇の皇子のうち4人、孫の王のうち12人が臣籍降下して源氏を称しましたが、源経基の子孫がもっとも栄えたと言えるでしょう。

 

 

さて清和源氏は軍事系に活路を見出すことになります。

源経基である源満仲は、藤原北家の摂関政治の確立に協力し、武門としての地位を築きます。拠点を摂津国にある多田の地においたので、これを多田源氏と言います。この地で武士団が形成されます。

 

彼の子である頼信の流れは河内源氏と呼ばれ、東国の武士団を支配下に置き、頼朝の代で武門の棟梁として鎌倉幕府を開くこととなります。

 

・わけがわからなくなったよね

 

誰が誰というのはややこしいので、拠点で覚えると良いでしょう。

当初平氏は坂東に、源氏は近畿あたりに拠点を持っていました。

 

その後平忠常の乱(カードにも出てくるので、これはまたの機会に語ります)を機に源頼信がこれを平定したので、平氏の庶流を家人として行きます。

「平将門の乱を平定した人(貞盛)」の四男が伊勢に地盤を築くと、その子孫たちが西国で勢力を拡大。

 

清盛の父(忠盛)は西国で受領を歴任し、清盛も同じく西国で勢力を拡大。

一方で東国では源義朝(頼朝の父)が力を持っていました。

 

おみくじちゃんの時代、西国は平氏、東国は源氏ってイメージですね。

この勢力がガチンコ争っていくイメージでいればいいかなって思います(ざっくりすぎる)。

 

・平家? 平氏?

 

平氏の中でも、平氏政権を打ち立てた清盛とその一族を「平家」と呼ぶことが多いです。

ちなみに鎌倉時代にできた軍記物語「平家物語」と平安時代成立の小説「源氏物語」は、ごっちゃにされやすいですが別物です(内容も全然違う!w)。

 

以上、今回はここまで。

また気が向いたら書きますねー♪

 

参考になりましたら幸いです。